桐島容疑者に世間は目まぐるしい振り回されたような気がします…
2024年1月26日に桐島聡容疑者が鎌倉市の病院で捕まってから、その3日後の1月29日には死亡したというニュースが舞い込んできました。
SNSのXでは『勝ち逃げ』、『逃げ切り』といったキーワードがトレンド入りしていたぐらいです。
果たして、桐島聡容疑者は本当に勝ち逃げ、逃げ切りとなったのでしょうか!?
今回は桐島聡容疑者の最期を詳しく調べて参りましたので、最後までお付き合い頂ければと思います。
桐島聡容疑者が死んだことは勝ち逃げなのか?
結論、桐島聡容疑者が死んでしまった事で、桐島聡容疑者が勝ち逃げかと言われると私は勝ち逃げではないと考えております!!!
理由は以下の通りです。
『桐島聡』という自分の名前を50年間隠す事になった為
捜査関係者によりますと、神奈川県鎌倉市の病院に末期がんで入院し、今月25日に桐島聡容疑者を名乗った男が29日、死亡したということです。
引用元:日テレニュース
入院先の病院では最期は「死ぬときくらいは本名で死にたかった」という事で、ご自身で『桐島聡』と名乗ったそうですね。
上記よりいくら犯罪を犯してしまった人でも自分の最期ぐらいは自分の名前で死にたい。
最もな主張だったのではないかと思います。
桐島聡容疑者の身元を警察が聞き取りしており、最期は本当に桐島聡容疑者なのか分からないままの死亡となったそうですね。
桐島聡容疑者は末期ガンなのに十分な治療を受けれなかった為
桐島聡容疑者は重度の末期ガンで胃ガンだったそうです。
桐島聡容疑者は買い物を行こうとしていた時に立てなくなり、うずくまっていたところを会社の近くに住む60代の男性に見つけてもらいました。
その方に、体を支えてもらいながら自宅に一緒帰り、1時間後に救急車で運ばれたそうです。
桐島聡容疑者ががんと診断されたのは1年以上前で、なんと自費診療で通院していたみたいですね。
搬送されたと病院はガン治療では有名な病院だったそうです。
詳しくは以下の記事の通りです。
湘南鎌倉総合病院でも『桐島聡』という本名をここでも明かさずに「ウチダヒロシ」と名乗っていた模様ですね。。
末期ガンなのに、十分な満足のいく治療を受ける事が出来なかった桐島聡容疑者は勝ち逃げ出来たとは私は思えません。
6畳ほどのアパートで住み込みで身を潜めながらガリガリになるまで働いていた為。
桐島聡容疑者が末期がんで倒れるまでは土木関係の工務店で住み込みで働いていたようです。
神奈川県藤沢市内の工務店で住み込みで働いていた。工務店側は、男性が桐島容疑者の可能性がある人物とは認識していなかったとみられる。
引用元:毎日新聞
朝日新聞の記事によると、桐島聡容疑者が住み込みでいたとされる住居の2階の情報がありました。
言い方は悪いですが、築年数はかなり経過しているように思いますし、木造で隙間風も入ってきていたのではないかなと外観から見て分かるように思えます。
また桐島聡容疑者はこの工務店で40年間ほど働いていており、「ウチダヒロシ」という偽名を使い、体がガリガリになるまで、身を潜めて働いていたと考えると、これも到底勝ち逃げとは呼べないのではないでしょうか…。
桐島聡容疑者は保険証や口座開設すら出来なかった為。
桐島聡容疑者は保険証や口座開設すら出来ていなかったと言います。
それもその通りで、保険証や口座開設を行うとなると身分を証明する運転免許証や住民表などで必ず必要ですよね。
桐島聡容疑者は「ウチダヒロシ」と名乗っていた事から、もちろん保険証や口座開設を行う事が出来る訳もなく、ガン治療も実費で精算していたとみられます。
その後の捜査関係者への取材で、男が保険証を提示せずに自費で治療を受けていたことが分かりました。
引用元:テレ朝ニュース
日本には保険証さえあれば国民は3割負担でいけるという素晴らしい制度があるのに、桐島聡容疑者はその恩恵すら満足に受ける事が出来ず、最期は倒れてしまった…この点に至っても勝ち逃げとは呼べるものではないと思います。
まとめ
いかがでしたでしょうか!?
今回は桐島聡容疑者が死んだことは勝ち逃げなのか!?そうでない理由を4選紹介ということで、お伝えして参りました!
勝ち逃げでない理由を4選まとめますと以下の通りになります。
1970年代日本を激震させた桐島聡容疑者ですが、今回自らが事件の内容を発言することなく、末期ガンで無くなってしまうという最期を迎えました。
「指名手配犯の逃亡」に焦点を当てれば「勝ち」だったんだろうけど、角度を変えて「1度きりしかない人間の人生」に焦点を当てれば、これほど悲しい人生は他にないのではないかなと思います。
桐島聡容疑者が起こした自己責任ではありますが、死ぬ間際じゃないと本名に戻れないなんて、「勝ち」とは到底思えないと私は思います。
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