末延麻裕子さんはかなりのお嬢様だったとか…
末延麻裕子さんと言えば、バイオリニストで、羽生結弦選手の元奥様ですよね。
そんな末延麻裕子さんのお父様は地元では大変有名な建設会社の社長だったようです。
今回は末延麻裕子さんのお父様について、ご紹介していきますので、最後までお付き合い頂ければと思います。
末延麻裕子の父親は建設会社の社長だった!
末延麻裕子さんの父親は、末延光章さんという方です。
末延光章さんは、山口県光市にある末延建設株式会社の4代目社長を務めており、地元ではかなり有名な建設会社でした。
末延建設は大正7年(1918年)に創業して、今、現在もなお続く老舗の建設会社です。
2023年現在で既に、115年も続いており、非常に長い歴史を持っていますね!!
そんな会社のモットーは『人にやさしい建物づくり、続けて百年 これまでも これからも』という事で、建物の新築、改築、増築や公共工事における宅地造成工事などと幅広く事業を行っております。
末延光章さんは、1992年から2012年まで20年間にわたって末延建設の社長を務めていました。
光章さんが社長だった頃の会社は売上も好調で10億円⇒14億円に増加し、敏腕社長だったそうです。
末延麻裕子さんの父親の死因は動脈瘤破裂。突然の別れだった。
末延光章さんは、2012年6月頃に急逝され、死因は動脈瘤破裂で突然の別れだったそうです。
動脈瘤破裂
引用元:宇都宮記念病院
全身に血液を送る大動脈が動脈硬化などの原因で「こぶ(瘤)」ができ、治療しないまま過ごしていると、こぶがさらに大きくなって破裂してしまう病気
末延建設株式会社のホームページによると、2013年6月に末延光章さんの一周忌の法要が行われた記されておりました。
末延麻裕子の父親は社員からも慕われていた。
光章さんは社員の皆さんからもかなり慕われていたそうで、社員さんが書かれていたスタッフブログから読み取ることが出来ました!!!!
現場が終わり、本社に戻ると、
「お疲れ、ご苦労さん」と、
優しく、暖かい言葉をかけてくれる前社長がとても好きでした。
引用元:末延建設株式会社 スタッフブログ
社長さん自らが自分のスタッフに声をかけてくれるというのは嬉しい事ですし、光章さんの優しい人柄の良さが伝わりますね!!!
末延麻裕子さんも父親の死で相当なショックを受けていた。
2022年12月、末延麻裕子さんは当時のブログに以下のように綴っておりました。
父を今年の6月に突然亡くしました。
前の日まで普通の生活をしていた人間の声が突然聞けなくなってしまう
というのはあまりの衝撃でとても受けいられる事実ではありませんでした。
あれから、毎日父の愛を母と共に感じる日々なのです。
父との思い出は毎日の事でした。
当たり前の毎日の会話。
何気ない行動。
それは、私と母の人生の宝となっていました。
『今』を真剣に生きていけば
それはその人の人生の宝の山となっていくのです。
今でも一人になると
涙が止まらなくなったり耐えられない悲しさに襲われます。
引用元:末延麻裕子ブログ
当時、末延麻裕子さんは、父親が亡くなった時に25歳ぐらいで、父親の死は、末延麻裕子さんにとって大きな悲しみだったと思います。
本当に末延麻裕子さんがお父さんの事を大好きだったという事が伝わりますし、お父さんも可愛い娘さんの事が大好きだったと思います。
現在の末延建設株式会社は2012年に末延麻裕子さんの叔父である末延吉正さんが代表取締役に就任しました。
それが最後になり、2016年4月からは河野正太郎社長に代わり、ファノスグループに加入し同族経営が終了したようです。
まとめ
いかがでしたでしょうか!?
今回はバイオリニストの末延麻裕子さんのお父様である光章さんについて、ご紹介させて頂きました。
光章さんは山口県の老舗の建設会社の社長で、社員にも非常に慕われていた素晴らしい方でしたね。
娘の麻裕子さんもお父様の事が大好きだったという事が分かり、本当に素晴らしい家族だなと思いました!!!
今後の末延麻裕子さんのご活躍にも期待したいです。
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